久留米ん昔話(久留米弁) シニアネット久留米(昭和五十三年二月二十日 松田康夫)
寺 町
揚柳観音ようりゅうかんのん(寺町心光寺) ※由来記
雲仙獄ん大爆発してもう二百年近(チコ)なるが、そん時ぁ島原ぁあすこ此処に大山崩れんあって、海の方は大津波で、八万人も死んだち言われとる。
話ぁそりから大分たってんこつぢゃが、島原北有馬ん沖に、晩になっとピカーッ、ピカーッち光りもんの波にゆられち、あっちこっちするげな。
まーだ大爆発ん時の死人で浮かばれん者が迷いよっとぢゃなかろかち、浜ん者なエズがって夜釣に出らんごつなったげな。
そっで実収(ミイリ)のへって漁師ぁ困っだしたもんぢゃけ、村世話人どんが話ようて、死人なら供養するりゃ良かこつ、いつまっでん、エズがって夜釣せんなら、嫁ご子供だんカツエ死せにゃならんごつなる。
元気出して確めちみろ、ち言うごつなったげな。次の晩、太か船にゃ坊さん乗せち、小舟ん者もお数珠持って、沖のピカーッピカーッち光る物のとこさん漕ぎ寄って、お経上げながら綱かけち引上げたげな。
そしたら真黒になっとる仏さんの光ござったげな。そんまんま漁師だんお経あげながら浜さん帰ってきて、そん仏さんばようと拝むと、有難こつ、こん仏さんな、明の国の杭州にある雲棲寺で蓮池大師が心魂打こうで彫らしゃった仏さんで、いつからか雲仙の麓に祀っちゃった揚柳観音ちわかった。
そりがそん大爆発で海さん押し流されて光ござったぢゃけ村中が喜うで、すぐ御堂ば建てちお祭りしたところ、そりからこっち村にゃ良かこつばっかり続いて漁師どんも楽になるし、願いごつもよう叶えらるるけ、しまえにゃ余所からも参りくるごつなって有名なったげな。
そん頃ここん十三代の上 人観誉和尚さんが、ずーっと島原ば修行して回りござって生れ在所のこん仏ば拝まれ、村に無理相談されち久留米さん譲り受けて来らしゃったち言う話。
そっでこん揚柳観音さんな雲仙の噴火ん時、下半身が焼けちゃるけ、言い方は良うなかばって「焼け観音」ちも言うげな。
猿の怨(寺町) ※住職・久留米めぐり群37
昔、京町の武家屋敷でんこつ。ある春の夕方、お城から下って来た主人が、縁側で弓の手入ばしよっ たら、庭ん大松の木にどっからか腹ん太か猿が迷い込うで来て登った。
そして、松の二俣になっとっとけ 腰かけち主人の弓の手入ば見よった。ひょいと気のついた主人な、良か的んあるち、弓ば取り直して矢 ばつがえち猿ば狙ろうた。
猿ぁ逃ぐらよかつに、もう狙はれち足のスクーだつか、たゞ手ば合せちふく れとる腹ば撫でち助けちくれち拝むばっかり。主人な、横着か腹ば射れてんなんてんち腹けーて、腹ん 真中ば射通した。ところがそりからこん屋敷にゃ悪かこつばっかり重って、とうと断絶してしもうた。
屋敷のあった所は明善校ん正門の右んにきなるが、断絶したそん屋敷のお座敷ぁ供養のため、寺町の西 方寺さんに寄附された。西方寺さんぢゃこの部屋ば建て増していつごろからか、猿の間ち呼ぶごつなっ た。そんわけは、此処に姙娠の女御が寝っと、欄間んとこに夜中、猿の姿ん現はれち、安産ば祈るごた る仕草ばしてくるる、そしてこけ一晩でん寝た者(モン)な間違のう安産するもんぢゃけ、そげん言う ごつなったげな。
幽霊蚊帳(寺町) ※住職・筑紫野民譚集460
寺町誓行寺の何代目んお住持さんか知らんが、博多ん寺で修業しござった時、とても囲碁が上手ぢゃ ったもんぢゃけ、黒田ん殿様ん碁の相手に呼ばれよらっしゃった。
或る晩のこつ蚊に喰われた顔ば殿さ んの見られち「蚊に大ぶん喰われとるが、蚊帳んなかつか」ち聞かれた。「はい蚊帳は持とりましたが 昨夜、盗人が入って張っとっとば持って行きました。とがみゅうかち思いましたばって、こん蚊の多か 時、蚊帳持たんな困っとっとか知れんち思い返して、だまって持って行かせました」ち住持さんの答え らっしゃった。
殿様(トノサン)な面白かこつ、ち笑うて一張蚊帳ばやらしゃった。ところが何日かし て又蚊に喰われた顔で碁の相手に出て来たけん「おりょ又蚊に喰われとるが」ち殿様の言わしゃったら、「はい又盗られました」ちそげん困った風でんなかごつして顔ば掻きよらすけ、殿様(トノサン)な 又一張蚊帳ばやらしゃった。
住持さんも、こげん、殿様に甘えてばっかりぢゃでけんち考えち幽霊ん絵 ば書いて、蚊帳んとけかけとらしゃった。そけ叉横着か盗人が入って来て、ヒョイとかけちゃる幽霊ん 絵ば見て腰抜かして逃げて行た。そりから住持さんな幽霊画家ち評判になり、絵はお寺の宝物になった ち言う。
不動さんの霊験(寺町) ※久留米めぐり26
昔、心光寺さんに、ほんに頭ん悪か小憎が一人居ったげな。三年たったばってんお経一ちょ読みきら んな掃除どんばっかり熱心にするもんぢゃけ、和尚さんも往生して「お前や、ほんにムゾかばって、こ っぢゃ坊主にゃなられん。
一ちょ今町の不動さんに願かけち、行ばしてみれ。こん寒かつに水垢離とっ て朝早よ三七の二十一日ちゃヒドかばって明日からやれ」ち言わしゃったげな。小僧言われた如つ朝早 よから雪の降ろうが一所懸命なって、行して参ったげな。気も張りつめちの行ぢゃけ満願の朝とうとう お不動さんの前でお参りしよったままウトウト寝たげな。
そしたら全身火に包まれた真赤な不動さんの スーッと天から下りて来らしゃったかち思うとざーっと小僧ん口に右手の剣ば突きこましゃったげな。 小僧はハッと目んさめて、そりから段々物覚えも良うなって、後ぢゃ都に上って偉か坊さんにならしや ったち言う。
こんお不動さんな有馬ん殿さんの久留米さん来らしゃっ時、福知山からわざわざ持って来 ちやっとげな。
水引地蔵(寺町正覚寺) ※筑後志191・新考三瀦郡誌363
正覚寺さんがまーだ西牟田にあった頃ん話で、天正ち言うけ四百年ぐれ前んこつぢゃが、毎日々々干 照の続いて、折角植えた稲もどこん田ん中も地割れんして枯れかゝった。
百姓だん人ん多かけ水汲み上げちでんしのがるるが、此ん正覚寺さんな三甫和尚一人ぢゃけ、寺ん田は本なこて枯るるとば待っとる ごつぁる風(フウ)ぢゃった。
百姓どんが加セしてくるりゃ良かばって、百姓だん自分が田ん中ば守っとに精一パイでそげな余裕(ヨユウ)ぁなか。三甫和尚は困ってしもうて、一所懸命御本尊さんの地蔵菩薩に祈らしゃった。
あけん朝、お勤めしゅうでち本堂に行てびっくり仰天。須弥壇な泥で汚れち、よう 見っと本尊さんも腰から下、泥だらけ。こりゃおかしかち思うて、寺ん田ん中ば見け行かしゃったら、昨日まぢあげん乾いて干破れとったつに水の一ペかゝって稲もシャーンとなっとった。
こりゃ三甫禅師んお 願いが天に通じたつぢゃろち、村ん者な皆な感心して、そりから御本尊さんば水引地蔵ち言うごつなっ たげな。こん有難かお地蔵さんな正覚寺さんの久留米さん移って来らしやっとき、西牟田にそんまゝ置 いて来らしゃったけ、今は西牟田ん流川にあって、こっちん御本尊さんなお釈迦さんげな。
子(ネ)の聖(ヒジリ)権現(寺町心光寺) 筑後二、四、28
(一)
昔、あっとこに高野聖の居らしゃった。とてん大酒飲みで朝から好し、昼からよし、晩な猶よしで飲 みござった。ある日托鉢出て、貰うた銭でいつもんごつ酒飲うで、えゝ気色で土手ん上ば通りござった ら眠うなって来た。小春日和のぽかぽか陽気に、とうと土手ぇひっくりかやって大いびき。背中にかろ とった仏様なそこんにきこき下して放たくりやったまま。
ところが野焼の火の燃えち来て高野聖さんな腰から下ば大火傷。あるお寺さんようよ連れち来てもろてそこで死なしゃった。死ぬとき「私は酒故こげんなった。私が死んだなら腰から下の病気で苦しむ者は助けちゃる。私ば信じて祈願するなら、しゃっち直してやる。私はこの仏さんであるから信じて祈ったが良か。ばって祈る時ぁ酒ば断って祈ってもら わにゃならん」ち言わしゃった。
背中にかろちゃった仏様は椅子に凭れた一尺五寸ぐらいの法師の木像ぢゃが、酒ば断って祈りゃ、ほんなこて良うなるもんぢゃけ、子(ネ)の月二十八日間とか五十日間又 百日間禁酒して願かけちお参りする者が多うか。
(二)
子(ネ)の聖権現さんな元は荘島に居らしゃったが、殿様ん命令で何処ん寺にでんよかけ持て行て良 かごつなった。さー腰から下ん病気ばなおさっしゃる仏様ぢゃけ、どこん寺でん、自分げに持って来う でちして我先なって、こん仏像に手ばかけらっしゃったが、ビリビリち手の痺れち持上げられん。心光 寺の十五代の和尚鸞誉さんが、「俺より他にゃ動かしゃきらん」ち酒ば引っかけち、人ん止むっとも聞 かんな、庄島さん出かけ、堂守に酒三升やって仏さんばひっかろてサッサと帰って来らしゃった。そし て不動堂ん横に祀らっしやったち。
桶冠りの観音(寺町・少林寺) ※由来記・久留米めぐり29
昔、豊後日田ん曲桶原(マゲハル)に春岡長者ち言う分限者どんのおらしゃった。
金でん力でん余るごつ有るばって惜しいこつにゃ子持たずぢゃった。子の欲しか、一人でよかけ、子の欲しかち、いつも思いござったところが、玉田ん満の長者どんのうち、ある聖観音さんが子授けにゃとてん霊力は持ちゃる、ち言う嬉しか噂ん聞えて来た。
もうたまらんなさっそく女夫(ミヨト)して満の長者どんば尋ねち、拝み倒して譲受け、屋敷に祭って朝晩欠かさんごつお参りしなさった。一ト月ぐれたった晩、白衣ば着て杖ばついた品の良か年よりが「信心が厚いけん、鏡をやろう」ち言うて鏡をくれた夢ば見らしゃった。そりから、ちようど十月(トツキ)十日で玉ん如たる娘ん子ば授ったもんぢゃけ、喜うで喜うで里ん者に誕 生祝いの餅ば配って祝はしゃった。
玉姫ち言う名前んごつ、そん娘が又美しゅうして、長者どん夫婦は 目に入れたっちゃ痛なかごつムゾがて、ちようど玉姫が十六になった時、ちょいとした病気でコロッと 死んでしまわしゃった。
死んだ長者どん夫婦も死にきれんごつ辛かっつろが、一人後に残った姫はま~だあわれなこつなった。今まぢゃ広か屋敷で蝶よ花よち何の不自由ものうくらしよったつに、ひょこっとたった一人になってしもうたけ、毎日毎日泣いとった。悪かこつに玉姫が一人になったち知った鬼どんが「今度お前ば殺すぞ、お前ん番ぢゃ」ち夜更けになっと出て来ておどす。
そっで、ばさろおった召使どんもエズがって、一人へり二人へりして千人近う居った召使がとうとう一人も居らんごつなった、鬼ぁ玉姫が聖観音ば一心に拝うでお経あぐると近づききらんな夜明けになっと消っしまう。玉姫が夜の つかれでいつかウトウトしとった時お坊さんの現れち、「おまえはこりからも信心ば失なわんなおれよ 。かならず古木にでん花は咲くもんぢゃから」ち言うて消えらっしゃった。
そのうち鬼の出る噂が草野の殿さん草野正門の耳に入った。元気者の正門は悪鬼ば見逃してなるもんかち、すぐ曲桶原に来て鬼ば一矢で退治してしもうた。そうして正門は美しか玉姫ば嫁にして草野につれてきた。玉姫は自分が生れた時のこつ、鬼に苦しめられた時のこつば思うて曲桶原に残して来た、ありがたか聖観音様ば立派な御 堂にお祭してやりたかち正門に頼うだ。正門も喜うで春岡長者ん屋敷跡に立派な御堂ば建てて、観音さ んばお祀した。
こん聖観音さんな子授の外に、願いはなんでん叶えてやらっしゃるち言うこつで、まわりの百姓からとても信仰さるるごつなった。ところが戦ん時、こん御堂にも敵が火ばつけて火事んなった。とても戦ぢゃけん消す暇てんなんてんなか。持出しょったばって間に合はん、そっで観音さんに桶ばかぶせち皆んな逃げた。戦んしまえち御堂んとこに行てみたら、堂は焼けおてとったがなんと桶も焼けとらんが中の観音さんも無事ぢゃった。
そりからこの観音さんば桶冠りの観音ち言うて猶ありがたがるごつなった。戦ぢゃけすぐ御堂ば建て直すこつぁ出来んけん、いっ時ぁ勿体なかが野ざらし観音さんになっちゃった。そん頃隣村さん女が一人真夜中ばって急用で行きょったら盗賊に出会うて斬り殺さりゅうでちした。逃げたばって女ごん足ぢゃけすぐ追い付かれち、もう助からんち思うて女ごは横ん何かわからん黒か物のウシロに飛込うだと同時にエイッち一太刀斬下された。
盗賊はどうしたこつか刀ば鞘に納めち、そのまんま行てしもうた。気ば失うとった女ごが目ばあけて見たら肩から血の流れよる野ざらしの 聖観音さんが目の前にござったげな。そりからこん観音さんば身替り観音ちも言うごつなったち言う話 。
曲桶原に祀ってあったつにどうして寺町の小林寺さんにあるかち言うわけは、今から三百年ばっかり 前、久留米ん有馬主計ち言う侍が、学問のため豊後に居った時、この話ば聞いて、もらい受け、自分の 菩提寺になる少林寺に御祀りしたけんげな。もともとこん観音さんな蓮城法師が唐から持って来らしゃった有難か菩薩さんち言う。
川上薬師(カワノボリヤクシ)(寺町医王寺) ※筑後国里人談第十九話
昔、医王寺の御院主さんの病気せらしゃったげな。なかなかはかばかしゅうなかけん、一七日(イチ シチニチ)ん願かけち一生懸命祈らっしゃったげなが、はっきりせんげな。
そっで、又七日間一所懸命祈らしゃったげなたい。そっでん、いっちょん効めん見えんげな。御院主さんな、病気の苦すせ、こげん頼りならん仏さんば置いとったっちゃ何んなろかいち言うて寺男に高野さん持って行て筑後川にほりこーじけち言いつけらっしゃったげな。
寺男は言われたごつ高野さん抱えち行て川にドブンちほーり込うだげな。ところがたい楽師さんな沈むどころか、流るるどころか、川上さん逆上って行かっしゃるげな。こりば見て、もう寺男は腰も抜かさんばっかりたまがって、お薬師さんば捨い上げち寺さん持って帰って御院主さんに、そんこつば話したげな。御院主も話ば聞いてもーびっくりするやら、恐れ入るやらして 、元んごつお祀りせらしゃったげな。こんこつのあってからが川上薬師(カワノボリヤクシ)さんち呼 ぶごつなったち言う話。
片手の薬師(寺町) ※久留米めぐり26
田町に片手の薬師ち言うて有難か薬師さんの祀っちゃった。一所懸命お願いすりゃ、何んでん叶えち やらっしゃるお薬師さんで、もと熊本ん玉名の庄山に祭っちゃったつば、田町さん移して来らっしゃっ たつげな。もう三百五十年ぐれ前ん話たい。
ある晩、そん庄山で薬師さんば大事にしよった堂守さんの夢枕に薬師さんのたって「俺ば久留米さね移して祀れ」ち言わしゃたげな。そりばって久留米ちゃ遠うかけ、とてん重か御尊体ば運びきりまっせん、どうかかんにんして下さいち堂守さんなコトワリ言うたげな。ところが次の晩も、そん次の晩も夢枕に立って催促せらっしゃるげな。
困っとったところが、或る朝見っと薬師如来さんの左ん手ん千切れち無かげな。びっくりして近所ば探してみたが見つからん、そこんにきのお寺さんに聞いてんわからん。もう堂守ぁ罰の当らんぢゃろかち、あっちこっち飛うで探し回ったげな。ばって見つからん。
くたくたにくたびれち、そん晩寝たげな。そうしたら「俺ん左手は久留米ん南の田ん中にある、探してみれ」ち夢ん中でお知らせば受けたげな。喜うで久留米さん探し来てみたら、ほんなこて田町の裏ん田ん中にあえとったげな、そりけん堂守ぁこげん薬師如来さんの望うぢ ゃっとなら、久留米さねお移しせにゃこてち思うて、近所ん者に話し、田町さん持って来て、自分も本 なこて坊さんになり了貞ち名ば変えち、こん薬師如来さんばいつまっでんお祀したげな。田町ぁ空襲で焼けちしもうたが、こん薬師さんな、遍照院に今ぁ祀っちゃるげな。
送り送られ坂(寺町) ※翁
殿様ちゃ、ええもんで眼の悪かってん、何もしきらんでん、家来どんばおだてち、「お前達ぁ我が藩の力綱、頼みの綱ぢゃけしっかりやってくれ」ち朝ン間言うとって、夕るしちょいと風向きの変って来うごつなっとおよたれち「お前だん、我が藩ば危うする国賊ぢゃ。邪魔になるけ死刑にする。ばって武士ぢゃから情ばかけち切腹ば命ずる」ち、とつけむねーこつば、ぬてーっと言わす。
言われた侍ぁ腹かく気持も無うなって「我が一命で藩の立場が良なるなら仕方なか。」ほんにムゾかこつたい。明治の二年こん手でほんなこて立派な侍十人が切腹させられた。こん十人が生きとったなら、久留米も今ん何十倍ち発展しとったろち、この頃でん惜まるる良か侍ぢゃった。
名ば言うと、久徳与十郎、北川亘、石野道衛、松岡伝十郎、本荘仲太、梯譲平、松崎誠蔵、今井栄、喜多村弥六、吉村武兵衛。こん内吉村武兵衛は大阪でぢゃった。いよいよ切腹の晩一人一人、時刻が違うてぢゃけ、初めん者が切腹して駕籠に入れられち徳雲寺ば出てくると、入れ替りに次の者が徳雲寺さん入って行く。見送って、こんだ自分が見送 らるる、ほんになんちムゾかこつぢゃい、そっで後々坂ば「送り送られ坂」ち言うごつなったげな。
正覚寺の菊花紋瓦(寺町) ※筑後三、三・35
佐幕派になったり勤皇派になったり、フラフラしよった久留米藩も御一新(維新)になったもんぢゃけ、ようよ勤皇派にゃなったもんの、初手からん勤皇派ぢゃなかったもんぢゃい、ほんにヒケメんあって、いっちょ新政府に忠義のフリば見せとかにゃち思うたつぢゃろか、又自分どんが悪かこつしょっとば和尚さ んの知っちゃるけバレンごつち思うたつぢゃろか。
新役人どんな「仏は神の身代り」ち言う、神様と仏様の交代ん言われだしたつば利用して、京都でばさろ修行して帰って来とんなさった正覚寺の玉潤和尚さんば「おまえは仏門のくせ、畏れ多くも天皇家の御紋ば御み堂ん棟瓦に勝手に使うとる不忠義者(モ ン)、逆臣ぢゃ」ち言うて、言訳もなんも聞かんな牢屋に打込うでしもた。玉潤和尚さんなとてん偉か お方ぢゃったけ、自分勝手になんでそげなこつばしなさろか。牢屋に入れられたち言うこつの京都にし れたもんぢゃけ有栖川の宮様からすぐ「菊花紋の瓦は自分が正覚寺に送ったもので、玉潤が勝手に造ったものではない。
玉潤に罪はないから早く牢屋から出してやれ」ち言う命令持った使者が来たが、もし牢屋から出したなら、悪かこつばっかりしとっとんわかろち心配して、役人がとうとう荘島ん牢屋ん中で和尚さんば毒殺してしもうた。玉潤さんな毒殺されなさっとき、役人達に向って「人を殺して己(ワ )が悪行を隠そうより、先づ己の悪を善に返せ、さもなくば悪の身は滅ぶであろう」ち言い残さっしゃったげな。がほんなこて毒殺した役人だん、其りからロクな目にゃ会わんぢゃったち言う話。そっで正覚寺さんの棟瓦は今でん菊花紋のとこば塗り潰したままになってしもうとるけ通りかかった時見てみっ とよか。
瓢箪墓(寺町) ※久留米めぐり28
寺町の遍照院さんに瓢箪の形ばした珍しかお墓ん一ちょありますが、こりゃ「どうぐら丸兵エの墓」ちも言うて本な名前は「西道俊」ち言う長崎仕込の蘭法医で天草生れの人んお墓げなですたい。天草ん人ん墓がどうしてこげんとこに、妙な形であっとか、なしどうぐら九兵エち言うとか不思議でなりまっせんが実ぁ先生に尋ねちみましたら「こん道俊さんな初手から勤王方ん考えば持っちゃったとけー、天草、島原方面ば、勤王でのうさにゃ日本なでけんち話して回りござった高山彦九郎さんに会うたもんじゃけ、もう嬉しゅうなって自分か家へ泊めたり、つんのうて回ったりしてお医者稼業はほーたらかして そっちに熱入れちしまわしゃった。
彦九郎さんと別れてからでん島原、長崎そして全国ば自分一入で勤王方ん話ばすゝめち回りござった。旅費は十八番のドーグラばしてもうけ、我がからドーグラ九兵エち言いござった。いっ時して高山彦九郎さんが久留米に御座るち言うこつば聞いて、一諸に勤王の旗上げ ばしゅうちでん思わしゃったつぢゃろ、旅費の無かもんぢゃけいつもんごつドーグラばして道々旅銭ば もうけ、久留米まぢようよ来らしゃったが、道俊さんの着かしゃった時ぁ、もう彦九郎さんな自殺して、こん遍照院に葬られちゃった。
道俊さんな墓ん前にどべくり坐って地べた、たたいて大声あげて泣か しゃった。その泣声んお寺さんまで聞えたげな。そりから腰にぶら下げとった瓢箪ば取って彦九郎さんの墓に酒ばこぼし、自分も残った酒は飲うで、ゆつくり刀ば抜いち、腹切って後追うて死なしゃった」 もんぢゃけ、あげな瓢箪形のお墓にして祀り、名もドーグラ九兵エちシコ名で呼ぶごつなったちゅう話 。こん道俊さんの死なしゃったつぁ亨保二年五月二日で七十二才ぢゃったげな。
東櫛原町
八の底さん (東櫛原) ※篠原稿
東櫛原に昔、松下牛乳屋ちあった。乳牛ば三十頭ぐれおいちゃっつろ。此処ん前ん田ん中に大きな榎の一本生えとったが、そん根本に八の底さんち言うて小まか石の祠ん祀っちゃった。いつでん赤土のお供えしちゃったがこりゃ歯のうずく時赤土持って行っておがむと良うなるけんぢゃったげな。
塩漬婆が墓 (東櫛原) ※翁・篠原稿
むかしゃまーだ筒川ん両岸ぁ葦どんが生えち、日の暮れっどん通りょっと追ハギ強盗どんが出てふてーめに会う恐しかとこぢゃったげな。旅慣れしとる者とか、久留米ん者(モン)な、そっで日の暮(クル)っと博多道ば通るこつぁなかったが、先ばいそぐ旅なれしとらん者な、知らぬが仏で、ふの悪かと殺されたりもしよったち。
櫛原から北は家一軒もの~して葦原。助けちくれちオローでん聞えはせん。そん筒川ん南の小高っかとこにそげんして殺された無縁仏ん墓が何十ち前まぢゃ立っとった。塩漬墓、漬婆墓、漬墓ち、いろいろ言うが、雨ん降ってムシ暑か晩なフワフワ火の玉ん出るけ誰でん近よろでちゃせんぢゃった。
もう今はどこぢゃい場所んわからんごつなっとるが、どうして塩漬墓ち言うごつなったかち言やぁ、あっ時、御遍路の婆さんが一人日の暮れち筒川んとこまぢ来たら、案の定強盗どんに取り囲まれち持っとる銭ぁそうょ置いて行け、出さんならタタッ殺すぞち言われた。が婆さんな「見る通りの遍路婆、こん賽銭箱に入っとるだけで他は持ちあんせん、どうか、こつで」ち賽銭箱ば差し出した。「そりゃー今日ん貰い銭、今迄ん貰銭などけ持っとるか、そりば出せ」ち言うが早かゝ、婆さんの首しめちフックラからキンチャクのふくれとっとば引出して、「太(フテ)ー婆ぢゃ」ち言うて強盗だん行っかかった。
そん婆さんなキンチヤクば取戻そでち強盗ん一人に後から取つかしゃった。「えー強情か婆ばい」ちふりかえりざま刀で払うたもんぢゃけ、ギヤーッち声あげち婆さんな腹おさえながら倒れた。こん様子ば筒川ん岸ん堀立小屋に住んどるヒゲぼうぼうん老人が聞いて「あっ、又か。殺すも宿業、殺さるるも宿業、傍観するも又宿業、無惨な浮世ぢゃ」ち言いながら婆さんば助け起して、我が小屋さん連れち来たいこん人はある藩の武士ぢゃったばって何かあって世捨人になっちやっとぢゃろち言う噂ん人。
婆さんな虫の息で「私しゃ肥後ん在じゃが、小まか時別れた娘が筑後に居るち言う噂ば聞いて有金残らず持って会い来たが、久留米で聞いたら筑前に行っとるち言う。永年小まか時から娘にゃ苦労かけたけ、死ぬ前一目会いたかったが、もうこつぢゃむつかしか。こげんこつもあろうち思うて、万十笠ん受台と、こん衣ん襟に、ちーとばって銭ば縫い込うどります。どうかこつで、後ばよろしゅうたのみます」ち言うて息ば引きとった。
爺さんな、こん話ば聞いて、いつもならすぐ後ん丘に埋むっとばって、ひょっとすっと筑前から娘が尋ねち来るかん知れんち思うて棺に塩ば詰めち、婆さんの死体の腐らん ごつしておいとった。そりばって一ヶ月してん二ヶ月してん娘は来んぢゃったけとうとう百日目に後ん 墓所(ハカドコ)に埋めちしもうた。そりから塩漬婆の墓ち言うごつなっていつか漬墓ち言い、そりが こん無縁墓地全部ばさすごつなったっぢゃった。
赤子地蔵 (東櫛原) ※翁
あたしだんもう八十年も此処住んどるばって此処(ココン)にきの、たんぼ川ば赤子堀てん赤子川てん言いよったちゃ知らんぢゃった、の~や。
そりばって、昔ぁ上納んきつうして子生んだっちゃ、とてん育てられんな、折角生んだ子ば此処んにき捨てよったつげな。まーそげん言いや古月和尚さんの福聚寺にお入んなった延享二年と五穀神社の建ちかかった寛延二年に捨子しちゃ出来んち二遍も、お触れんでとるし、その後十年もせんな百姓一揆ん起っとるけほんなこつかん知れんたい。
もともとこん道ぁ博多道ち言うて久留米ん城下から筑前の方さね行く、通りの多かとこで人目につき安かけ、捨てよったつぢゃろたい。あられん処(トケ)捨っと犬てろん、鳥てろんに喰わるるけ、そりゃムゾしての。ばって都合よう拾ちもろた赤子は良かっつろが、そげんそげん全部が拾われはせんな、飢(ヒ)もじうして餓死 (カツエジニ)した赤子も多かっつろたい。そっで、そげな赤子ん供養すっとに去年出来たつげな。こげなあたしどんが話ぁ当てにゃならんがの。